記憶の味。隠し味は〇〇

さくら庵は和歌山県橋本市のエステサロンです。
こんにちは
お顔、からだ、こころ、人生をメンテナンスする
トータルビューティセラピストの 和澪です

過去記事再アップです

栄養については、理想の食事は前回のとおりなのですが、

食事ということを大きな視野で見ると違うことが見えてくる
ように思います

最近「なーんか、美味しいもん食べたい」って思う。
でも、しっくり来なかったりする。

それは、失われた味、記憶の中の味なんだ!
って気がつきました。

私はおじいちゃん子だったんです。
おじいちゃんが時々作ってくれる
得たいの知れないチキンラーメン (笑)

なんだか、色々なものが入っている。
色々な物はその度違うのに、何故かいつも同じ味。
すでにチキンラーメンの味ではない。

再現しようと思って作っても再現できないんですよね。

お茶漬けも、母に「ちょっと頂戴」と言って食べた味を求めるのですが、何故か違う。

そこには、愛情だったり、想い出だったりが加わっていて
味覚としてあるのだと思います。

感覚とは不思議でこころと密接に関わっています。

味覚だけでなく、聴覚なら

ん?!今○○に呼ばれた。

みたいな。

食とは生命を維持するだけでなく、美容と健康の為だけでなく
単に欲求を満たすだけでなく、こころと密接に絡み合う。

食育が脳の成長にもこころの成長にも影響を与えると言われていますが、
確かに理想的な食育の形はあると思います。

でも、本当の食育は、得体のしれないものであろうが、
片寄っていようが、その人にしか作れない
再現できない味

○○の味じゃないのかな・・・

私は強いて料理は好きではない。
でも、子供達が小さい頃は べきべき、ねばねば
で作ってきました。

でもね、娘達がいうのです。
「ママのオニギリが一番好き」

えっ?他にもあるだろー!
手の込んだものも作ってきたよ~っ
え~っ。?え~っ。? 

なんで?って聞くと
「ママの手の味がする」

私の手おいしい???
彼女達にしかわからない味覚なんでしょうね。

そういうことじゃないかな
時間かけたから、バランス良くしたからって、
愛情は届かない。

食事って奥が深い、奥が深いからこそ
最終奥義はシンプルだったりする。

 


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